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箱館政権:主な幹部達

箱館政権の特徴的な政治体制の一つに「入れ札(選挙)制度」の採用がある。
アメリカの制度を模倣したもので、選挙人の対象は士官クラス以上の人間である。
これにより、日本で初めて「選挙による閣僚の選出」がされた。

箱館政権メインブレーン一覧表
総裁榎本武揚 副総裁松平太郎
陸軍奉行大鳥圭介 陸軍奉行並
箱館市中取締裁判局頭取
土方歳三
海軍奉行荒井郁之助 箱館奉行永井尚志
箱館奉行並中島三郎助 開拓奉行沢太郎左衛門
松前奉行人見勝太郎 江差奉行松岡四郎次郎
江差奉行並小杉雅之進 会計奉行榎本対馬 川村録四郎

複数ある「入礼日」

箱館政権樹立の祝賀会が催された12月15日に入札が行われ
全ての幹部が選定された云う記録が圧倒的に多い反面、
箱館政権の人間による記録でも、15日以降に入札が行われた事が書かれている。
恐らく、総裁だけ15日の時点で選出し、残りの幹部は15日以降改めて選出された
と考えるのが妥当であるべきか。

「箱館政権」の呼び名について

榎本達の政権を「蝦夷共和国」と称される事があるが、それは甚だしい間違えである。
「共和国」を辞書で調べると
「合議制の政府機関によって政治を行う国」と書かれている。

成る程、入札制度を採用したこの政権、確かに「共和国」と称するには相応しい。
しかし、榎本は本気で「共和国」の樹立を考えていた訳でない。
イギリス・フランスの公使に託した嘆願文に記された如く、飽くまでも彼は
最終的に徳川家の統領を蝦夷地へ据え置く事を考えていた。

加えて、榎本達は南蝦夷地を平定したに過ぎず、蝦夷地全てを平定した訳でも無い。
以上を踏まえて考えると「蝦夷共和国」と称するのは非常に無理がある訳である。
政治の中心を箱館に置かれていた事から「箱館政権」辺りと呼ぶのが、無難であろう。

おまけ

全く関係無い話ですが、「あき」と呼称される幹部が偶然にも多く居ます。
榎本武揚→「たけあき」
大鳥圭介→諱は、純彰「すみあき」
荒井郁之助→諱は、顕徳「あきのり」
榎本対馬→諱は、道章「みちあき」

そして、私の名前も「あき」が付きます。う〜ん、親近感を感じる(強引ですが)。

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