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松平宗家並びに庶流家の紹介

徳川家康を輩出した「松平宗家」並びにその庶流家である「十四松平家」について簡単に紹介する。
因みに初代親氏など早期の人物に関して生没年が記述されているサイトがあるが
彼等の生没年は諸説があり、実際の所は確定出来ない事を追記しておく。

松平宗家の紹介:初代親氏〜八代広忠まで

名前 主な政策 名前 主な政策
初代:親氏(ちかうじ)
生没年不明
(一四一三・一四年頃没)
諸国を遍歴していた職人の一人とされている。
その後、松平郷一帯を攻め取る。
所謂「乗っ取り」。
二代:泰親(やすちか)
生没年不明
(一四三〇〜四八年頃没)
親氏の親子または兄弟と云う。
兄弟の可能性が高い。
岩津(岡崎市)に進出。
三代:信光(のぶみつ)
一四〇四〜八八年
父、親氏の家督を継ぎ岩津城主となる。
安城・岡崎城を攻め取る。
庶流松平家が誕生。
四代:親忠(ちかただ)
一四三八頃〜一五〇一年
信光の四男。安城松平家を継ぐ。
松平家の菩提寺大樹寺を創建。
五代:長忠(ながただ)
又は、長親(ながちか)とも
一四五五頃〜一五四四年
正確には「安城松平家二代目」。親忠の息子。
駿河の今川氏親が三河に侵攻する。
六代:信忠(のぶただ)
一四九〇〜一五三一年
「安城松平家三代目」。長親の長男。
安城松平家と宗家である岡崎松平家の確執。
信忠の能力が劣っている事が加味され 早々と清康に家督を譲る。
七代:清康(きよやす)
一五一一年〜三五年
信忠の長男。「安城松平家四代目」。
宗家の岡崎松平家を攻める。
以後、居城を安城から岡崎へ移す。
清康は、三河をほぼ統一するものの 尾張攻めの陣中で家臣によって暗殺される。
所謂「守山崩れ」。
八代:広忠(ひろただ)
一五二六〜四九年
家康の父。清康の長男。
守山崩れ以後、織田氏の三河攻めに加えて 松平一族間の抗争により一時的に岡崎城を離れる。
今川義元の助けで何とか岡崎城を保つ事が可能となる。
その為松平家は一時的に衰退する。
家臣によって殺される。

補足説明
1:三代信光は家督を親長(ちかなが)に譲渡している。
彼等は「岩津松平家」と称され、松平一族では本来、宗家に当たる一族であるが、その動向の詳細は不明である。
当コンテンツでも筒針小栗氏と密接な関係を持つ「岩津松平家」を扱っているが、
これが宗家たる「岩津松平家」と如何なる関係があるのかは、調査中である。

2:宗家たる「岩津松平家」が衰退した後、代わって勢力を持ったのは、岡崎松平家と安城松平家である。
上の表を見て分かる通り、安城松平家は七代清康の時に宗家の格たる岡崎松平家を強襲した事で
宗家の地位を得たのである。

十四松平家(松平庶流家)の紹介

十四ないし十八松平家と称される松平庶流家の紹介をする。
先ずはその存在が確定出来る「十四松平家」について触れてみよう。

名称 説明 名称 説明
竹谷(たけのや)松平家 三代信光の子供、守家(もりいえ)が始祖。
一時期、嗣子がおらず断絶していたが、再興。
明治維新まで続く。
形原(かたのはら)松平家 信光の子、与副(ともすけ)が始祖。
明治維新まで続く。
大草(おおぐさ)松平家 信光の子、光重が始祖。
嗣子がおらず断絶。
長沢(ながさわ)松平家 信光の子、親則(ちかのり)が始祖。
嗣子が居なかったので、家康の六男忠輝が継ぐが 彼の改易により断絶。
能見(のうみ)松平家 信光の子、光親(みつちか)が始祖。 五井(ごい)松平家 信光の子、忠景(ただかげ)が始祖。
子孫は寄合衆。明治維新まで続く。
深溝(ふこうず)松平家 信光の子、忠景(ただかげ)が始祖。
四代家忠(いえただ)が伏見城内で戦死。
関ヶ原の合戦以後、庶流松平家の中では 破格とも言える高待遇を受けた。
明治維新まで続く。
大給(おぎゅう)松平家 四代親忠の子、乗元(のりもと)が始祖。
明治維新まで続く。
滝脇(たきわき)松平家 親忠の子、乗次(のりつぐ)が始祖。
子孫は旗本。明治維新まで続く。
福釜(ふっかま)松平家 五代長忠の子、親守(ちかもり)が始祖。
嗣子おらず断絶。
桜井(さくらい)松平家 長忠の子、信定(のぶさだ)が始祖。
明治維新まで続く。
東条(とうじょう)松平家 長忠の子、義春(よしはる)が始祖。
関ヶ原の合戦以後は、家康の四男、忠吉が継ぐ。
忠吉は嗣子が居ない状態で死去した為、断絶。
藤井(ふじい)松平家 長忠の子、利長(としなが)が始祖。
明治維新まで続く。
三木(みつき)松平家 六代信忠の子、信孝(のぶたか)が始祖。
嗣子がおらず、断絶。

十四家に入らないその他の松平家

松平郷松平家・岩津松平家・鵜殿(うどの)松平家・
西福釜松平家・宮石松平家

松平郷松平家は、初代親氏の子、信広を始祖とする。
この一族は松平郷から離れる事は無かった。
それは家康が関東に移封されても、従う事なく。
家康が江戸幕府を開府した時に初めて、松平郷松平家は「領主」となった。
明治維新まで続く。

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