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倉渕村旅行記

東北新幹線は8年振りの乗車

2002年5月26日に群馬県倉渕村にて幕末の英傑、小栗忠順を忍ぶ祭りが開催されるとの事なので、行ってみた。
私は忠順の研究者では無いけれども、その有名な子孫を辿る事によって、新たなる発見が出来るかもしれない、
と思い行く事にした。本来ならば、何とか日帰りでも帰る事が可能であるが、余裕を持たせて祭りを見学したかったので、
祭りの前日に一泊する事となった。幸いにも祭りの前日は土曜日だったので、電車で都心へ行くにも比較的に空いていた。
お陰で東京駅までほぼ、熟睡する事が出来たのは、有り難かった。

8時10分過ぎの東京駅発、東北新幹線に乗車。実際には新潟行きの新幹線だったが、初めての2階建て新幹線に感激した。
しかも、2階部分に乗車する事が出来たし。幸先が随分良いな〜、と思い乍ら高崎まで、ジャスト1時間乗った。

バス便は1時間に1本

さて、高崎から今度はバスに乗車するのだが、丁度、高崎に着いた時刻がバスの発車時間と同刻だった故に、1時間も待つ事になった。
食料を調達していなかったので、駅前にあるコンビニで食料を購入し、更に立ち読みをし続けたお陰で、1時間が直ぐに経過。
いざ、バスに乗車!所が、5月とはいえ猛暑的な暑さだった所為か、バスの中は冷房が鬼の様に効いていた。
冷え性の私は思わず、閉口。これから1時間もバスに乗るのに…。

しかし私の不安は意外にも直ぐに払拭された。都心とは違い、交通渋滞の憂き目に遭遇する事は、皆無だった。
高崎周辺は地方都市の感が見られたが、時間が経過するに連れて、緑がどんどん増えていく光景に対して、
目的地へ徐々に近付いているのだな〜、と実感した。途中、榛名町のバス車庫でバスの乗り換えをした後、
バスは一気に倉渕村へ走行した。榛名町を越えた以降、緑が一層、濃く成った気がした。

倉渕村の散策

それから30分程経過して、終点の、権田車庫に到着。結局、車庫まで残った乗客は僅か、
3人で、しかも高崎から乗っていたのは、私だけと云う。車庫に到着して面を喰らったのは、
単なるバスの駐車場と化していた事。自販機とかトイレとか全く無いので、思わず、苦笑。
車庫の先にはバス路線が出ていて、国定忠治が処刑された跡地もあるのだが、バスの時間との兼ね合いがよく分からなかったので、
結局は行かず。この様な時に車があると便利だ、と痛感した。
余談だが、倉渕村は北軽井沢に隣接している村なので、車さえあれば行くのは、容易である。

朝早く起きた所為か非常に眠くなり、村内を流れている烏川まで赴いた後は、そこの岩場にてゴロ寝をする始末。
正に「旅の恥はかき捨て」と思わざるを得ない行為である。1時間近くゴロゴロした後、その辺を散策した。
本当に静かな村だった。聞こえるのは、川の水と鳥が鳴く声程度。

そんな感じで一日目は、終了。

小栗祭り

二日目、いよいよ小栗祭り当日。宿泊した旅館から会場の東善寺まで、徒歩5分の至近距離。
東善寺へ入ると、様々な露店が所狭しと出店していた。中でも「ハムスター、無料で差し上げます」には驚いたけどね。
祭りの内容は言うまでもなく忠順を忍ぶもの。そして、勝海舟や新政府に対する「やりきれぬ想い」も感じられた。
忠順の偉業は明治政府によって抹殺されたし、特に勝に対しては…。因みに、祭り自体では色々な話も出来たので、
有意義な日を送る事が出来た。

帰りのバスは爆睡モード。いびきがうるさかったかも…。

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