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忘れられない旅行の思い出

第1回:日光旅行(1994年3月)

高校卒業記念に友人と二人で日光へ行った。今思うと間抜けな行き方をしていた。
宇都宮まで新幹線に乗車し、その後、日光線を利用していた。
浅草から東武東上線を利用すれば、良かったのに。

この旅行で今でも昨日の如く思い出す事が出来るのが、某射撃場で友人の鉄砲が、私の目に当たった事。
射撃を終えた友人が鉄砲をふり回した瞬間、先端部分が私の右目を直撃した。2日程涙目に成っていた。痛かったぜ。

第1回:北海道旅行(1997年8月)

避暑の目的で北海道へ。これは幼なじみと一緒。釧路・摩周湖・夕張・札幌・函館へ行って来た。
まんべんなく遊んだ感じ。

札幌から特急電車にて函館に向かったのだが、運悪く、千歳線が人身事故によってダイヤが大幅に乱れた。
その特急電車に乗り合わせたジジィが、人身事故でダイヤが遅れた事を延々と文句を言っていた。
思わず、友人と爆笑。こちとら(東京)では、人身事故は日常茶飯事なんだが。

父島旅行(1998年3月)

最も過酷な旅行。行きも帰りも春の荒らしの憂き目に遭遇。
東京から父島までの渡航時間は、約、25時間。私の場合、行きは29時間。帰りは41時間。
帰りは10分経過するにも、1時間は要していたのでは?と錯覚する程、時が遅く感じられた。

船室の2等は学割が有効なので、これを利用した。つまり「床」。
帰りは船の中でラーメンを食べてしまったので、吐く寸前に何度も陥る。
それでも、人間が出来ているので例え、目の前に金タライが置かれていようと最後まで吐かなかった。
トイレに行くにも船の揺れが凄いので、立つ事も歩く事もならままない状態。
なので、トイレが出なくなった。

極めつけが、夜中に寝ている時に船が「ツー」と壁側で寝ていた私の方へ傾いた。
何十人分の重みを受けるハメに。

到着予定を2日遅れて、朝の7時に浜松町へ無事に到着。
暫くの間、地上に立っているにもかかわらず、揺れている感覚に陥った。

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